掛川市「ボランテァ」の皆様有 りがとうございました。

今日の天気は最高快晴です。

日曜日の今日も朝早くから静岡県掛川市「ボランテァ」の皆様が
地区各家々を回り「足湯」で元気を出る催しを行うので老若問う
わじにと、陸前高田市気仙町長部漁村センターにて被災地活動に
参加を呼びかける案内挨拶、掛川茶」をもってやってきました。

240513-11.jpg2個置いてゆきました。

本当に被災地は「田んぼ」の復旧もママならず、指を加えて日々
過ごしている状態です。被災しない田んぼは田植えが始まって
いるとの新聞記事が出ているが、山菜取りも放射能で自粛と、
何を口に入れたら良いのか、仕事も出きずどうしりゃいいのやら。

国会議員は我縄張り争いで、国民の為の政治は何処かの棚にあげ
何をしているやら、困ったもんだ。次は本当に国民生活を考える
真面目な国会議員を送るほかにない。皆様考えなおそうではないの。

原発は再稼動の方向、去年の今頃は「カンカン」総理は原発廃止を
となえたら、変わった総理は逆方向に舵を切り、選挙の約束を反故に
して、官僚作文どおり総べてが反対方向、それに反対する人は従い
だって、選挙の約束は総べて公約違反にする国家の危機はどうするん
ですか、とても国を動かしと言うことは宇和空だ。

240513-22.jpg長部漁村センター

ボランテァで真面目に被災地応援されている皆様には本当に申しわけ
無いです。想定される「東海地震」を予想される皆様からの支援は
気の毒です。被災地の現状は今後日本の何処で発生されても可笑しく
ないのです。支援しながら明日は我が身だと、帰ったら近くの方々へ
見たとおりのままお知らせください。

色々な方々が被災地を訪ねて来ておりますが、「TV」等で見るのと全然
違うとお話されるが、現場に立って本当に良かったと。・・・・・・
明日は我が身が本当にわかります。

ボランテァのお陰。

静岡県掛川市民の皆様有り難うございました。


気仙川

2011年3月11日より以前の姿、写真整理していたら「気仙川」に架かる橋の
写真集が出てきました。

一番先に被災した「気仙大橋」河口から直ぐのところで、1本松も直ぐに
見える場所です。今は残った橋脚と1本松、水門のみ見晴らしが良くなったくらいです。

気仙大橋 0480011-11

気仙川右岸・左岸跨ぐ橋は自然の力には抵抗できず、震災当時逆巻く
津波の状況を見ていた方が語るには、老婆が入れ歯をはずしよりも
1瞬であったと聞きました。

広田湾に注ぐ、「気仙川」の源は北太平洋沿い沿岸では海から直ぐに
そびえたる姿は沖を通る船には大きな目印だと言われ、植物分布でも
「北限」の山としても知られている。

気仙大橋 052-11


「五葉山」(「御用山」共言われ)からの水が流域を得るおし、様々な
「気仙文化」の源でもある。形としては東西を分けるような流れであり。

流域には「ヒバ」の大木の産地でもあり、「千石船」建造にも使われたので
あろうと、長崎に住む瀬戸内「塩飽」出身の研究者吉田様から指摘を受けた。
塩飽船の大半は青森で建造されたとの事です。

歴史を調べる内には色々な方々の知恵を借り、書き込みたいと考える。




「近くの山の木で家をつくる運動」

「近くの山の木で家をつくる運動」

「近くの山の木で家をつくる運動」2001年に産声を上げた運動、12年一回りが経ちましたが、

0507-02.jpg

初代長谷川敬先生の後を引き継ぎ、現大江忍理事長のパワーで頑張っております。国道45号線南行方向に面した建物外壁を仮、運動の看板があるのを忘れていました。

0507-05.jpg

その看板の目の前にして、側の山の立ち木を伐採していました。看板をナゼと思われるでしょうが、杉の実から「種」を採取、今から床を作り若木の苗を育苗しております。

0507-03.jpg

戦後の国家の増産で、苗木を育て4年目には山行きを育てきました。が、国策が終了し、家内生産で細々と今は育苗に勤めています。それが大津波で大変更です。
この先、震災のため伐採が忙しくなると生産は間に合いません。
0507-04.jpg

昭和30年代後半から育苗、国策終了がどの様になるか、見通しが不明ですが、注文がある限り生産が続くでしょう。母の生家の兄が始めたのですが、時代がかわりました。が山がある限り、続けられたらと、念願しています。・・・・山行き「杉の苗木」注文いただければ、お世話します。売切れの時は来年お願いします。



新規まき直し「陸前高田市」仮設市役所庁舎完成・看板も

平成24年度震災から立ち上げり行政がスタートした。

被災地陸前高田市は仮設市庁舎が準備が出来あがり、
庁舎入り口大きな新品看板を掲げ「陸前高田市」は看板と4棟仮設庁舎、
復興の象徴掲示され本格的にヨイドンスタートした。

NEC_004811市役所新看板

震災前は当初の目論みでは防災関係、消防署等の施設を計画しておりましたが、震災によりひっくり天地を
返され危うく、土地を確保しておったのが良く、市長はじめ役所全体が被災後東側の「鳴石団地内の
給食センター」内に仮役所設置、急ごしらいして役所業務を行ってきたのが何とか体裁だけは整い、
新年度からスタートした。

NEC_00521市役所02とにかく市役所の仕事場が出来た。頑張ってください。

新年度は昨年に引き続き、全国の応援職員等の支援で復興がスタート。
マジで本当に市民も胸をなでおろした。陸前高田市、歴史に残る災害は
本当は去年から普通業務を行わなければいけない
市長さんは、飛んだ大飛び入りの災害で1年で10年分も仕事をこなしと
いう事態を、家族も顧みず戸羽太市長は頑張ったのです。

ありがとうございました。今後とも市民の市政お願いします。






「大地震予想と5億円宝くじ」の当る確立


恐らく限りなく当たらないでしょう。(その方が首都圏人は落ち着く)

片や地球と言う自然界、片や限り無く、人間の欲望の世界。

0404-15.jpg防潮堤が引きダムに早代わり


首都圏に直下大地震、M7クラスであろうと政府関係の研究者が
発表したが、当分は来ないと見たほうが良いと思う。
(こちらの勝手な推理であり、信用する撓いは別)

「東日本大震災」だって「宮城県沖」が来ると言う予想が、後から
1千年に一度だと、慌て修正して発表したが、自然界と一体と成らなければ
予想は当たらないものであると思う。
自然と一体で有るべき優れた「祈祷師」なども、微かにであるが当たる時もある。

「人の心」は「天地一体」に持っていくと、昔から胸騒ぎするという方もある。
神仏の極めた修行者の方の話を三十代の時に、行者から聞いたが、「日本刀」
二本、刃を上にして刃渡りの「行」されたが勿論足の裏は切れ血に行ったと。

精神と統一、心を「空」にすると言うのは並大抵ではなく、宗教関係の修行は
人間の身体に柵がつくものを振り払うとは並大抵ではないと想像する。
行者は「無」求め修行するが、雑念はそんなに払い除けられるものでは、
ないとも言う、それは欲望が強いからとも言う。


0401-12_20120401150345.jpg我が家北側から安全と思われたところで10数人が命を失う


首都圏に直下大地震、M7クラスであろうと政府関係の研究者が
発表したが、当分は来ないと見たほうが良いと思う。
(こちらの勝手な推理であり、信用する撓いは別)

「東日本大震災」だって「宮城県沖」が来ると言う予想が、後から
1千年に一度だと、慌て修正して発表したが、自然界と一体と成らなければ
予想は当たらないものであると思う。
自然と一体で有るべき優れた「祈祷師」なども、微かにであるが当たる時もある。

「人の心」は「天地一体」に持っていくと、昔から胸騒ぎするという方もある。
神仏の極めた修行者の方の話を三十代の時に、行者から聞いたが、「日本刀」
二本、刃を上にして刃渡りの「行」されたが勿論足の裏は切れ血に行ったと。

精神と統一、心を「空」にすると言うのは並大抵ではなく、宗教関係の修行は
人間の身体に柵がつくものを振り払うとは並大抵ではないと想像する。
行者は「無」求め修行するが、雑念はそんなに払い除けられるものでは、
ないとも言う、それは欲望が強いからとも言う。

0401-11.jpg港が見える丘から、高田松原の松がない非常時だと思った。


それが今回「東日本大震災」に結びついたと考えるのが正しいと思う。
幾らその道の研究者が考えても再度「想定外」という言葉を使う時期が来る。

「大地震予想と5億円宝くじ」の当る確立は限りなくないと見たほうが良い。
然し避難等は常に怠るべきではなく。最後は運命に従う意外になく。

例えの教訓に。
「兄弟が災難から逃れる時、遅れた兄に、弟は安や諦めろと言った」とも聞いた
津波の場合は非情であり、救おうと手を伸べて最後に捉まらないと生きられない。

その時の場所、隣人しだいが今回の「東日本大震災」被災地の体験者の談を記録
するべきだと考えるのである。






Fecbookから佐野様

佐野 春仁さんの投稿:

建築基準法が戦後のバラックの底上げのために書かれたものだとすれば、ずっと高いレベルで
本当にしっかり考え、まじめにやっている木の家つくりのプロの作法に、レベルの低い口を出して
くれるな、ということを実践でもって示すことができれば、それはそれでいいのではないかと
思っています。

求めている価値観が根本的に違う。ただ、よかれと思っていることも、新たな眼で批判される
こともあるでしょう。それが正当な批判であれば、受け入れたらいい。

でも、見当違いの批判は頑として拒否できるよう、しっかり勉強しなくては、評価してくれる
人たちも増えて来ない。東北、ことに気仙の大工さんたちを知って、そんな独立国のような
充実感を味わい、垣間みたような思いをしたものです。

240328-2.jpg 50年前の防潮堤が逆ダム役割 1

東北を襲った震災、津波、原発という三重苦の辛さ、重さは想像に難くありません。でも、
そこから見えて来る世界観、建築観、住まい観というのがあるかと思います。菅野さんが
ブログで書かれている大いなる自然の力、人間は自然にしたがうしかない、ということを
根本に踏まえた住まい観、建築観、都市観について、語っていただくのが一番かと
思っています。  

ありふれた言葉になってしまいましたが、一つだけ残った言葉が、「
絆」でした。

これからの住まいを考えるときに、個々の家の性能を並べることよりも、
隣近所のひとたちと一緒に住むというところ、長屋のような住まいにこそ、
有効な基底が得られるのではないかと、ぼんやり考え直しているところです。

時間がたって、またぞろエゴがにょきにょき出てきて元の木阿弥になる前に、
いい議論を展開して欲しく思っております。

引き波で見えない海底が現れる。そんなに見れるものでもない、海底が現れる。 50年前の防潮堤が逆ダム役割 2

佐野春仁様、
難しい評価を有り難うございます。語るは簡単でも、文字に現しのの、難しさ頑固大工の
戯言と受けとけ止めてください。コピーして何を此方に問いかけたのか考えました。
同じモノでも見方を替えると素晴らしい世界があると同じで、そのような目から読ませて
いただきました。

ブログにも掲載します。kesennodaiku.blog.fc2.com 

現代の「ものつくり」に深い考えはなく、唯、金儲け手段としての「入れ物」
つくりに、多いに疑問を持つから屁理屈になるのか共思います。赤ん坊がうまれ親の
ママゴト的愛情と暮らしで育て、お金のために一面で「鬼婆」のような形相に変わり、
毎朝来る新聞のチラシの色に誘われ、家は銭で買うものだが浸透し、良くない「入れ物」で
育つ生き物を獣に替える現代の風潮に大いに疑問を持つから辛い表現になると自分で
相思っています。

入れ物の悪い処で育てる危険性は、親の変な思想と重なると、ますます危険領域に
入ると思うのです。「き」の持っている意味は不変に大きいのに「き」が衝かない
堕落社会の一遍、住まい手・つくり手が忘れた家つくりにポリシーがあって
良いかと考えます。大体「建築基準法」は悪いとは言いません。

国民の為の法なるならわかりますが、管理する国家の都合で人間の入れものを
奪うから辛くなる表現であると考えます。「器」と言う漢字でも、「口」が上下
2個真ん中に「大」と日本語の表現、うつわにノル料理・飾りは日本文化の極致
では無いのかと考えます。難しくなりました。

今後も辛口コメントお願いします。





磯浜の潮が満ちる

この世の出来事かと思う光景です。

小さな磯の出来事浜に近い家が浮んで奥えと流される。対岸の家の窓下まで冠水下のです。その後引き波で石垣まで引いていった。


が段々満ち、何処まで高くなるだろうと小高い畑の丘の上で見ている方は気味が悪い。

このときには「陸前高田市」の市街は大津波の襲撃で、皆逃げるのが背一杯なのが後日の

ビデオTVで確認できた、広田湾の奥へはこれより直線で約4km、この水面の下は

ロータリ除雪車の先端についている様な、水を攪拌する渦が動いているはずだ。

0328-01.jpg潮が盛上がる、恐怖だ。

この風景に下の海底ヘドロを完全に掻き混ぜ、海底を攪拌しているはずである。

その泥水は此処からは確認できない。

。。。。。。。。。。。人間の生活の垢が海底に堆積しており、海底の生物にとっては、

数100年に一度攪拌は必要だと漁師は言う。それが自然界の法則なのだとも聞いた。

確かに人間が海の塩水の攪拌などは出来るはずがない。



0328-02.jpg浮かんだ家が流れる

小さな子供が高いところからオシッコしていると同じで、

この自然界の営みに逆らうなんて、それは小話にもならない。

今回のヘドロは数100年分の堆積の付けを津波が戻したのである。

「人間界」に地球征服はできないのに、馬鹿みたいに挑戦する「隣国」見たいに小さな

鉄砲で刃向かう人間もおり、幾多の人種が住むこの世界、誰も征服したものはない

のに阿呆かと思う。そして気が衝かないのが可笑しい。

笑って収めるしかないのが現実である。

0328-01.jpg影マサカ人ではないだろう

この日本の毎日見聞きしても愚かなことで右・左で日が暮れている毎日だ。

でも津波は恐ろしい、今回は1千年に一度と言われ、東日本以外の方々に

恐ろしさを知ったことは、「政治」操る人間、地べたで暮らし一般庶民にまで恐怖で

あるが理解さえれたのが、不幸でありながら、地球は生きているのだが理解されたのは

生きていく方々にとっても謙虚に生きるべきであると思う。




大震災後遺症なのか「ど忘れ」が酷い。

大震災後遺症なのか「ど忘れ」が酷い。

何でだろう。この大震災で周囲にいる方々の「ど忘れ」が自分だけかと思ったら、
四方山話から相手も自分もだと、いううではないの。あの震災での極度の緊張感の
悪戯ではと思う。多くの方々と話と皆自分も想だというではないの。


引き潮で海底が
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ネットで調べたら。   ネットの先生曰く
ど忘れには“それなりの理由”がある
 「ええと、あれ? 何ていうんだっけ……」。いつも使っている言葉のはずなのに、思い出せないことはありませんか?
 “ど忘れ”はよくあることですが、ど忘れが出ると、「もしかしてボケが始まったのではないか」と心配する人も少なくないようです。しかし、ど忘れの多くはボケでもなんでもありません。ど忘れするには、それなりの理由があるのです。
 例えば、家族と別居中のAさんは、会社の書類に自宅の住所を書こうとしたとき、どういうわけか番地を思い出すことができませんでした。「そんな馬鹿な」とあせればあせるほど、頭の中は真っ白になります。
 この場合、Aさんが家族のいる自宅の住所を思い出せなかったのは、ど忘れというより、別居の原因となった奥さんとのケンカなどの記憶がよみがえるのが嫌で、普段から思い出さないように抑制していたからです。
 ど忘れは、脳の記憶から消し去られたわけではありません。Aさんのケースのように、思い出したくないという潜在的な意識が働くために、思い出せないこともあるのです。時には、その思い出したくない理由さえ、分からないことがあります。

240325-13.jpg

海底を流れる引き潮は大川のようだ。もたもたしていると引っ張られる。


訓示  ど忘れしたときは、思い出す場所と時間を変えてみるべし

 一方、自分がよく知っている、分かっていると信じている言葉なのに、すぐに思い出せないのは、実は最近あまり使っていなかった、ということもよくあります。
 記憶には、新しいことを覚えるいわゆる「記憶」と、覚えていたことを思い出す「想起」の2つがありますが、ど忘れは「想起」、つまり思い出す能力の低下を意味します。ど忘れは、いつも使っているように思えても、実はあまり使っていない単語が、記憶から出にくくなっている状態でもあるのです。
 使っていなければ、いくら自分が知っていると思っていても、すぐに言葉が出なくなるのは当然のことでしょう。しかし、その意識がないので、どうしてすぐに思い出せないのかあせりを感じ、「ど忘れした」と思ってしまうわけです。
 このように、ど忘れのもう1つの原因は記憶の希薄化です。したがって、どこかでまた印象づけを行えば、すぐに思い出せるようになります。
 なお、一度ど忘れの迷路に入ってしまうと、同じ思考回路を繰り返してしまいがちなので、いくら思い出そうとしても、思い出せません。この場合、思い出す場所と時間を変えてみることも大切です。すると、簡単に思い出せることが多いのです。
 ど忘れは必ず思い出せます。しかし、使わない言葉は思い出しにくくなる――、このことは忘れないようにしましょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
240325-12.jpg
矢張り逃げるが勝つが自然界でる。

米山 先生は一時的な「病」であるとのことでした。直る信じる以外に無いみたいです。
まずは安堵を・・・・・・・・・・・・・・時間との勝負・・・・・に勝たなきゃ

もっと詳しくは下記へ
川村明宏の「シニアス記憶術」

http://www.kioku-jutsu.com/it/




続・ 大震災は「ものつくり」への天罰か?



最大潮位のとき


続き

しかし振り返ると、一時のマスターベションの如く快楽が終わると、
虚しさのみが反吐を吐くように戻り何だったのかと気がつく、
後の祭り以外の何もでないのに気がつく。もう晩い。

今回大震災「アホー」観たいな法律の縛りで、街つくりの方向もなく、
我が家を建てるのに、網の目の細かな法律絡まれて、身動きでき無いなんて。
一対誰の為の法律なんだと、言いたい。ただ飯を食わせる為の、藪にあり
国民などは日干しになっても好いと考えている節がある。(無役なお役人目)

今回の大震災、大きな意味で「大工後継者育成」の手抜きが露呈したのが事実であり
小さな修理なども出来ない大工が多く輩出され、それでも目の前に「大工」がいない。
我慢して多く職人を抱えていた工務店・大工棟梁の所などは3ヶ月以上待つ工事が
ざら、大半でそれこそ、需要に応える為週に2箇所工事を行っている処もある3日
行っては次の待つ現場と、地震・津波で被災した方々はそれでも、職人が
いないのだから待つしかないと、諦めている。

240324-12.jpg
浮かんで沈まない家

今、震災地域を他国の事と眺めている地域の皆さん、明日は我が身だと
気が突かないと大変なことが起きると認識して下さい。職人を馬鹿にした学校の
先生など銭を幾ら持っていても死に金を抱いて死ぬのかと言いたい。
TVのCMに踊らされて、高くて「骨組み構造」の始末の悪い住宅に住んでいる方々、
今回のような大震災に遭ったらどう始末をつけます。・・・職人・手が無いのです。

それこそ以前、仕事を反故にした工務店・大工に泣きながら修理を
お願いしなきゃ成らないなんて、考えてみたらわかるでしょう。震災地の
施主などは、一度頼み行ったら3ヶ月先だと言われ腹を立てて他所を回ったら
それ以上待たないと駄目だと言われて腹を立てた、最初「大工・工務店」に
戻ってきたなどの話はざらです。

例えに「神仏(かみほとけ)、「大工」いなけりゃ雨・風の晒しになる」
職人と言われる方々には面度だが「味がある」のはそのためだ、ダンボール
見たいな家を建てても、其処には入る人への魂もひと気もない唯の空間であり、
それこそ飾っても味気素っ気もないと言われるのはそのためであり、今回で
仮設暮らし方々から聞くと仮設という「豚箱」で暮らしているのが本音だと、
早く隣を気にしない処に行きたい。・・・・・・・・・・・・本音である。

240324-13.jpg
浮かんで沈まない 不思議だ。

国は本気で「職人育成」を考えないと。この先30年、被災地は仕事が尽きない。
まして今後予想される。東京都知事など首都圏の知事さん。中京圏・関西圏のトップ
今からでも晩くない。ツラシで作る家も良いが人の育成に目向けないと現に大変ことに
晩ければ晩いほど、「冷酒」のように後から利いてくるのに気がつかないなんて
アホカと言いたい。原発と同じ問題ではないのか思うよいくら発電しても一時良くて
時を経ってもその付けは恐ろしいのでは無いのかと思うが。。。。。如何か考える。

震災地の「世迷言」で済めばよいが、もう来るかも知れない事態を如何に考える???






大震災は「ものつくり」への天罰か?

鈴木周二

平成9年、東海新報「社説」気仙坂

今の、日本全てにおいて、「狂っている」と言っても過言ではないのか。

歴史が積み重ねて来たものを全て破壊したのは、文部省を始め、
国家機関の「人つくり怠慢」手抜き意外の何者でも無いと思うのです。
そしてそれが国家国民生活の破滅以外の何もでもないと考えるのです。

震災後1部国家の根底を考える方々が、自重「本」などで未来を危惧して
警鐘鳴らした諸説の訴えを読むと、人つくりの大切さを説いているのが多い。
その考えを読むと気がついて来たような気もする。

高い学問を取得すると夢のような生活が出来ると言う錯覚を教え、
猫も杓子も「大学大学」へと草木も靡くような宣伝に乗せられて、
生まれ故郷を捨て都会と靡く、アホカと言いたい、自分の育った町を
捨てて幸福なんてあるのかと問いたい。

其処にあるのは卑しい銭社会の恨めしさであり、他人を蹴落とし、
擦れ擦れに命を奪い勝利するのが今の社会ではないのか。
崇高な理念なき社会なんて所詮狡賢く生きた人間が、一時の勝利しても
元の木阿弥だったのに気が付かずに毎日を過ごしている。

わが町は「職人」の町であった。明治の新国家建設、大正時代の関東大震災
北海道新開拓、昭和初期満蒙開拓、第二次世界大戦焦土から、敗北の都市の
復興へと「大工・左官」不足から都市復旧復興に掻き出され、消耗品のごとく
使い捨てにされテ来たのです。 ・・・・続く。



野島が消えた・・・・続編

昨年5月31日http://http://kesennodaiku.blog.fc2.com/blog-date-201105-0.html

通信回線がママ成らずの時点でブログを書きました。
漸くブログにたどりつきましたが、写真掲載や長い記事を掲載は光通信が
正常に成ってから出ないと無理なのでしばらくはギリギリで掲載しましたが。
現時点であった。以後は体の変調で調子が悪くその流れが今でも引き吊り
困っているが、昨日「埼玉県久喜市和田工芸和田社長様」からお電話を戴き
漸く元気な菅野のブログを読まれたと電話があり、何とかしなくては発墳下です。

2011.05.31
このときは本当に大変、通信回線が復旧しない中、ドコモ携帯WA-FI通信であり
上手く回線に乗り繋がるか心配しました。



第1波津波・・・・・・

野島の岩肌が消えた

何時もの島の風景です。
第一回最高潮位、対岸石垣が引き波に・・・・・・・
次回は拡大します。この後恐ろしい風景・・・・引き波が嗚呼
15時20分であったと記憶。

縄文遺跡+貝塚

1千年に一度あるかないかないかの大津波。
スパンが長いと人は「間」を忘れるのだと気がついたのです。

我が家海抜35mの丘の上、歴史学先生(施主)に我が家の手前20m付近の畑の角に
「10数年位」前、道路建設時に貝がたくさん出た、正月年始祝いに訪ねてきた。
その貝を見て、昔、貝塚があったのだと教えられた。
その時の話では陸前高田市内の貝塚は標高30m付近にあったとも聞かされた。

野島の岩肌が見えない。普段の野島は後日と書きましたが




そうすると「縄文」時代あたりからこの付近に人が棲みか構えていたのだと
想像がつく、当時人類も水辺の近くに住んでいたのだと解る。危ない所に住む現代人より危険察知が早い古代人らしい生活であり。今回大津波で疑問が解けた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
島の頂上の松の根元まで海水が上昇したのです。

それが今度挽く時は野島の海底の底まで見えるでは有りませんか。
大きな風呂桶の水が引けた後です。普段とは想像が付かない天変地変でありとても
考えあっれません。




| NEXT>>

プロフィール

Author:kanteru
終戦直前生まれの大工が
誤解・間違いの現行、「建築基準法」伝統工法に異議唱えるる大工です。気仙大工建築研究事業協同組合にて「新板蔵つくりの家〜気仙大工槌蔵の家」の商標登録を取りました。貫と貫の間に、槌でがっちりと叩き込んだ板を落とし込んで壁をつくる大変丈夫な、気仙に伝わる本格伝統構造です。秋田県立木材高度加工研究所の鈴木有元・教授の実験では、壁倍率4倍までいきました。




最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR